パソコンのブックマークを整理していたら、
友人の作家さん(勝手にカリンバさんと呼んでいる)が4年前に書いたこんな記事を見つけました。 以下ブログより引用 そして僕はアーティストなどではけしてないのだが (2011/01/12/23:12) たとえば深澤ユリコという人がいる。 品川てづくり市だのでよくご一緒するアーティストである。 そもそも彼女は絵描きさん(なんだろうと思う)だが、彼女の作って来るものはほぼわけのわかんないものである。って、いや、けして悪く言ってるわけじゃなく。 彼女の描く謎のキャラクターのポストカードやシールを持って来るんだが、まー、それはポストカードやシールなんだからわからないことはぜんぜんないが、もうひとつ、そのキャラクターのキーボルダーだかなんだかわかんないものがあって、まー、小さいものはキーホルダーにしたりカバンだのなんだのに飾りとしてブラ下げたりするんだろうが、しゃもじくらいの大きさのものや果ては立て看板かと思うほどの大きさのものまであって、そうなるともうこれっていったい何に使うんだ?と。 で、小さいものでも何百円なんて安い値段ではけしてないわけなんだけど、これがけっこうな人気だったりするのだ。 いや、もっとはっきりと何かに使うために作られてて、しかもとても安い値段で売られているものでもほとんど売れないものがある中で、である。 それはちょっとした安くてかわいいファンシー小物ではないし、まして持っていると便利な日用品的小物でもなく、むしろまったく必要のないものかも知れないのに、である。 つまりはこういうことなんであると思う。こういうのをアートと呼ぶんだろうなと。 アートに目的や理由やましてや必要性なんかあってはならないわけなんである。 ただ「わぁ!」と思わせるものがあればいいのである。あるいはなくてはいけないんである。 あちこちのいろんな種類の市やイベントに行って、いろんな種類の出店者さんたちと接するが、その中でも彼女は非常に数の少ない「アーティスト」であると思える人である。me&RORDMASTER ご本人はしれっと何気ないつれづれ日記の体で書かれたのだと思いますが(笑)、 私はこれを読んで、肩の力が抜けたような、そのままでいいんだよと言ってもらえたような、救われた気分になったのです。 その時期は、自分の作っているものは何の誰の役にも立たない。 それらしい意味がなくてはいけないんだろうか。 などともやもやと考え込んでいたのです。 以前展示をしている時に、同じ絵画を前にして、 ある人はじっと黙って立ち続け、何故だか涙を流していました。 ある人は「俺にはまったく意味がわからない。あんた狂ってるよ」と 捨て台詞をして去って行きました。 (何かを感じてくれるだけ有難いです。 無関心に素通りされる事の方が多いですから) 絵はただの絵。 これでいいんだと思えるようになりました。 (あくまでも私が一方的に投げかける作品においてのみの話です)
by yuriko_fukazawa
| 2015-08-04 11:52
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